宮沢賢治『貝の火』を読んだので感想とかを書き殴りました。

貝の火』という童話をご存知ですか? 宮沢賢治が作ったお話なんですけど。なんか当時読み聞かせレベルで終わったらしくて、他の作品に比べると全然メジャーじゃないんですよね。

 

で、マジでたまたま行った宮沢賢治記念館でたまたまこれについて特別展示やってて、もう超絶感動(?)したので、今日はこの『貝の火』を取り上げます。
みんな、興味を持ったらゼッテー買って読んでくれよな!!!!(宮沢賢治の回し者かな?)

 

ちなみに私は宮沢賢治について全くのド素人です。銀河鉄道の夜は微妙に分かんねぇし、ゼミの研究対象とかでもないので本当にド素人です。ドッドッドドウド(風の又三郎)とかキックキックトントンキックトントン(雪渡り)とかアメユジュトテチテケンジャ(永訣の朝)とかはなんとな〜く分かる。そんな程度。

 

マジでただすげーーーーーと思って、考えることが多かったので、その感情の昂りだけで今これを書いています。そこんとこよろしくな!!

怒んないでね!!!!!!!!!!!!(結局それかよ)

 

 

1.あらすじ
ある所にいた純真な小ウサギのホモイくんが、いつものように元気いっぱい川辺で遊んでいた時、川上からしわくちゃの黒いものが流れてきました。よくよく見るとひばりの子じゃね???ってなったので、ホモイくんは川にダイブしてそれを助けます。
ダイブしたせいで熱を出すんですけど、子ひばりのママからお礼に、鳥たちに伝わる「貝の火」というキラキラ色とりどりに輝く宝石をもらいます。

でもこれはただの綺麗な石じゃなく、持ち主の心の美しさや行いによってより綺麗になったり曇ったりする。だから生涯綺麗なまま持っていられた動物はメチャクチャ少ないんだって!


名誉な「貝の火」を貰ったことで有名かつ皆に尊敬されたホモイくんだが、狐にそそのかされてパパとママが喜ぶだろうと狐の盗んだパンを貰ったり、怠け者だから罰だと一緒にもぐらをいじめたりする。


その度にママは泣き、パパは「貝の火はもうダメだろう」と言うんだけど、一向に貝の火は曇らない。「僕と貝の火は生まれつき一心同体なんだ!何やっても絶対に曇らないんだ!」と調子に乗るホモイ。


で、ある日また狐の「張った網に鳥を引っ掛けて動物園をやろう」という誘いに乗って一緒に遊ぶホモイ。

捕まった鳥たちは「ヒバリくんが貝の火をあげたホモイくんじゃん!!助けて!!」とお願いするんだけど、実は捕まえた鳥を食べようと思ってた狐はホモイを「逃がしたらお前を喰うぞ」と脅す。それにビビって鳥を見捨てスタコラと逃げ帰るホモイ。

その話を聞いたパパが狐を追い払って鳥たちは助かるんだけど、とうとう貝の火はダメになってしまった。

白く濁った貝の火は割れ、破片がホモイの目に飛び込む。他の飛び散った欠片はまた集まって新しい貝の火になるんだけど、それは遠くに飛んでいってしまう。

濁った貝の火が目に入ったホモイの目は見えなくなってしまった。

 

 


2.登場人物と考えたこと
この話、怖くないですか?なんか。
ヤバくない?いや失明?????!?!?!?!?ってなるよね。ホモイ........お前............。いや失明て.....。(率直な感想)
で、もっと怖いのが登場人物なんですけど、次はそれについてちょっと書きますね。

 

 

①馬
あらすじでは端折ったんですけど、作品中では貝の火を貰ったホモイを見て泣きまくる馬が出てきます。で、この馬には「あなたは我々の命の恩人だ。どうかお体に気をつけてください」というセリフがあるんですね。
え何????何を知ってるん????ってなるくない?怖くない????????予見でもしてるんか?????オ?????

で、この馬「最後に動物に貝の火が渡ったのは1200年前だ」とかいう貝の火の歴史?も知ってるんですけど、馬はその生き証人だったのかなあと思いました。長寿すぎでは?とも思うけど...

 

馬はホモイが失明する(あるいは失明に限らず貝の火を貰った何らかの代償を伴う)こと、
貝の火を貰って代償を受けるべき存在が我々に必要だったこと
を分かっていたのかなあ。
馬にはホモイが人柱のような存在に見えたのかなあ。

 

 

ここで考えたのは「正義や優しさの代償」で、ホモイくんは結果的には悪い行動をしてるんだけど起因的な感情を見るといいやつなんですよ。お母さんやお父さんのためとか、(自分の考える)正義のためとか。
良い人物であろうとすることは簡単じゃないし、人格って弱いから時にはほだされたり揺らいだりする。でもその揺らぎや弱さは決して完璧な悪じゃない筈なんですよ。たぶん。

でもでもこのお話ではその揺らぎ、その弱さこそ淘汰されるべきで、罰や代償が必要だとされている。これって実はすごく厳しい制約なんじゃないか。


ただ良い事をして、良い人であろうとしつつ弱さや揺らぎを見せた結果、失明したホモイくんは、まさに「良い人」の礎というか、人柱のような「必要な犠牲」に見えるし、馬はそれを予見してたのかなあ。
タダで「良い人」にはなれないぞという。それを見張っている(?)のが貝の火なんだぞという。そしてその貝の火に見張られる役が必要だったんではないかという。
それら全てを馬は知っていたんじゃないか。

 

 

②フクロウ
動物園のくだりで捕まった鳥の中にフクロウがいるんですね。貝の火は捕まった鳥たちをホモイパパが助けた後にダメになってると発覚するんですけど、
それを見てフクロウは「たった6日だったな。たった6日だったな。」と言ってホッホッホって笑うんですよ。

怖くない!?!??????????何を知ってるんだお前は。お前も予見か?????オ??????(怯え)

つかさっきまで狐に食われそうになってたよね?九死に一生の状態で(一応)恩人のホモイたちによくそんなこと言えるな!!!!!!!ニュアンス的には嘲笑やんけ。命の灯火消えかけた直後の嘲笑とか神経鋼なんか?


で、フクロウはこのセリフを考えるに、狐に捕まったのはわざとだと思えたんですよね〜...。ホモイの「良い人であろうとする心」を試したというか。


前述した通り、ここまでホモイくんは貝の火が曇るまで3回の過ちを経ています。狐が盗んだパンを食べ、もぐらをいじめ、鳥で動物園を作る。2回目までの行動では、貝の火は曇らなかった。
この「動物園」のシーンが貝の火を維持する最後のチャンス、分かれ道だったんではないか。

 

つまり貝の火には持ち主の未来に期待する精神とか先見の明的な概念、あるいは過ちを許す精神があったこと、
フクロウはそれを実際に(?)判断するために遣わされた特別な存在であったこと
が考えられるんじゃないかしら。

多分フクロウの知能や神話とかの関係性について調べるともっとフクロウの特別性が分かりそうな気がします。宮沢賢治は神話が好きだったっぽいので。

 

 

①で貝の火と良い人の犠牲を述べましたね。それを念頭に置くと、やっぱり貝の火とは「良い人を作る」ものだったのかなあと思います。成るのが難しいからこその育成の機会というか、気づきのチャンスを与えるっぽいあたり。

 

でも誰も何も教えてくれないんですよね。パパが「狐には気をつけろ」と言ったくらいで、自分の行動のどこがどうダメだったのか、一体何が過ちになったのかがホモイは分かってない。
パパは「どうしてあんな事したんだ」とか「貝の火はもうダメだろう」とか言うばっかだし、ママは泣いてばっかり。
自分の行動の中にある悪が分からなかったから、ホモイは何度も狐と遊んだのかなあ。

 

 

 

3.可視化される正義、優しさ
貝の火がある事によって、ことごとくホモイの行動やその評価が「貝の火の曇度」に支配されていたのが気になりました。
本来ホモイのようなひばりの子を助けるとかの勇敢な行動って明確に可視化されないというか、点数化されない(?)フワフワした概念なはずなんですよね。
誰かに褒められるから(褒められると分かっていたから)ホモイはひばりの子を助けた訳じゃない。

でも貝の火がある事によって、ホモイの行動は「貝の火にとって良いか悪いか」で評価されつつありました。
行動の善し悪しを曇りとして可視化してくれるから、貝の火の綺麗さを失わないために良い事をするとか、貝の火が曇らないからあれは悪いことじゃなかったんだとか。
自分の行動の評価が貝の火の可視化によって、依存というか支配された感じがしたなあと思いました。

で、多分正義や優しさって本当に概念だから、何が完璧な正解とかじゃないんだろうなって思ったり。
ひばりの子だってあの時本当は死にたかったかもしれないしね....。


ホモイのやった事が正義か悪か、正解か間違っていたのかなんて、最後の最後にならないとわからない。今その瞬間に答えが分かるかも分からないし、そもそもあるかも分からないじゃん?ていう...。


そういう所に善悪や正義や優しさの概念がもつ柔軟性があって、その不明瞭さに我々はすごく弱いんじゃないか。

でもそういう善し悪しの不安定だった評価を可視化して、それが正解かどうかの評価の裏付けになっちゃう貝の火がきたら、そりゃあ頼っちゃうよね〜〜ていう...。

そこにはホモイの弱さだけでなく、絶対に周りの弱さもあったはずなんだよな。何だよ「貝の火は曇ってしまっただろうよ」って....。
貝の火のために良くあろうとしたんじゃなくない?良くあろうとする・したから貝の火を貰ったんじゃなかったんか?

絶対この話はホモイだけが弱くて悪いわけじゃないはずなんだよ。


それなのに、何故ホモイだけが失明したんだ?

 

 

 

4.結末と選ばれし者
結末でホモイは失明するのですが、傍ではパパが背中をさすりながら「目を失ったお前は何がいけなかったのか分かるはずだし、分かったお前は世界一幸福だ」「目はきっと良くなる」と言うんですよ。

率直な感想を述べさせてもらうと、「何言ってんだ」に尽きます。私はね!!!!! もうぜ〜んぜんハ????????????と思った。何言ってんだこいつ。みたいな。キレそう.....。(やめな)


失明したのはホモイの過ちに気づけない弱さや無知のせいもあるけど、絶対にそれだけが理由じゃない筈なんですよ。前述したとおり。
そう考えるとやっぱり犠牲になった感が強まってやるせない。何でホモイだけでホモイなんだ。

 


あまりにも腑に落ちないので調べた結果、どなたかが書いたブログにたどり着きまして、私はそれがすごく納得できたので内容を勝手にシェアハピします。(頼む誰も怒らないでくれ)
以下は私の考察ではないです。


つまりホモイは「選ばれた者」だったんじゃないかってことがそこでは述べられていました。
人間に(恐らく)無作為に降りかかる大病や災害のように、ただ神がテキトーに(かは分からないが)選んだ者だったというだけで、キミは特別な存在だから!とかこういう理由があるから!とかそういうのではないんじゃないかと。

ホモイが特別に思えるのは選ばれたからで、選ばれた理由は全くもってないんじゃないか。っていう....。

で、ただの肉塊である我々から選ばれたからにはその運命をただ従順に受け入れるしかなくて、だから父親も「きっと目が良くなる」とかいう気休めを言っているんではないか。
(それとも良くなるんだろうか。いやでもこのシーンのこのセリフは気休めだよね...?)(私はそう思います)(なぜなら絵本の裏表紙には呆然と濁った目で座るホモイが描かれていたから)

 


でさ〜私これ見てメッチャ納得しちゃったよね笑
結局そうなのかもなあ〜って。
なんか、"なぜホモイだったのか"とかのちゃんとした納得に足る理由なんてない、「ただお前だった」ってだけなんかな〜〜〜〜〜って思った。
で、なんか  マジ生贄だな〜って。

 


貝の火は正義や悪の概念の定義とか正解を示すものじゃなく、ただ本当に単純に「神に選ばれた者」の証だったんじゃないか。

溺れてる(ように見える)人がいれば助けるし、甘い誘惑があれば流されることもある。それはとっても人間的というか、なんだ? なんか 人間だな〜〜〜〜   人間臭いな〜〜〜〜〜 と思うわね...。(ホモイくんは人間じゃないけどね。そちらの理解力に依ってすみませんが私がそういうことを言いたい訳じゃないのはお分かりいただけるでしょうか)

 

 

結局彼が失明したのは、良い人になりたい/自分が望んで他人に望まれる人物になりたいという欲望・欲求とか、全ての行動の正解(善悪)を可視化に求めた分かりやすさへの屈服とか、それに支配されてしまった正義観とか正しい行動とかではなく、
ただ選ばれただけ。っていう....。それだけだったんじゃないだろうか。


だからホモイだけが失明したし、もしかしたらもっと長い事貝の火を持ってて本当に尊敬されて自慢の息子になってずっと語り継がれる存在になったっていう結末もあったんだろうな。

 

 

おわりに
色々考えて色々言ってみましたが結局やっぱり本当に何もわからない。誰か論文とか研究材料にしてる人いたら教えてください。個人的なこうじゃね?とかもぜひお願いします。
あと宮沢賢治ってマジでスゲェと思った。すげぇな、宮沢賢治銀河鉄道読もうかな...(それは普通に読め)

 

 

宮沢賢治 著/おくはらゆめ
貝の火
https://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=116840&spf=1
↑絵本ここで買えます。絵が泣くほど素敵。

 

文庫版は無料で読めます。ありがたいわね!
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1942_42611.html

 

(勝手に)参考にしたブログ
https://ncode.syosetu.com/n8873fh/
ごめんなさい怒らないでください

 

行った博物館
https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/spot/article.php?p=131
貝の火の特別展示は5/10までらしい。メチャ良かったから行けたら行くといい。


ここまで稚拙な文章を読んでくれた全ての人に感謝します。
すごいね、こんなクソみたいな文章最後まで読むって。なんか ホントごめんな下手っぴで🥵

 

ま〜〜〜〜でもまた思ったこととか考えたこととか、様々な視点から得られる意見を求めたいな〜と思って書くかもしんないので、そん時はまたよろしくお願いしますワ!😁

 

 

8/19 追記
これ博物館に行ったあとすぐ書きあげて、ずーっとずーっと温めてて、さっきウッカリ開いたので見返してチョコチョコ修正したり加筆したりしたんですけど、こんな下手くそな文章しか書けなくてももっと早く、行ったあと書いたあとすぐどっかにうp(イニシエかよ)すればよかったな〜と思いました。
これで特別展示みたいと思った人行けないじゃん絶対...と思って....。5/10て.....。

 

もし私のこのクソみたいな文章でそう思ってくれた方がいたらなんですけど、ごめんな!!!!!!!!(大声)
だから鉄は熱いうちに打たなきゃいけないのよね.....。(粗悪で妥協していいってことでもないけどね)(だから難しいよね)

次(があれば)もっと頑張ります。😌

 

 


ほんとに終わりで〜〜〜〜〜〜す!!!!!!!!!!!!!